anko1934 ゆっくり退化していってね!1 の変更点

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ゆっくりたちの朝は遅い。
太陽が昇り気温が高くなってから、ようやく寝床から起き上がり活動を始める。
体の大きさの割に大食らいであるゆっくりにとって、朝が遅い=狩りの時間が短くなる=食事の量が減ることである。
しかし、たとえ集められる餌が減ったとしても、ゆっくりは存分に睡眠を楽しみ、心ゆくまでゆっくりする。
ゆっくりすること。それこそがゆっくりにとって最高の幸福であり、生涯を賭して追求すべきものであるからだ。

「ゆっくりおはよう、れいむ!」
「ゆっくりおはよう、まりさ!」

都会。
住みよいとは決して言えないコンクリートジャングルにも、ゆっくりたちは根付き数をネズミ算式に増やしている。
ゆっくりは雨さえ耐えられない脆弱な体の持ち主だが、それを埋め合わせるかのように旺盛な繁殖力と簡単な社会構造を有する。
一年中たくさんの子どもを産めること。そして子どもをある程度計画的に育てられること。
この二つがなければ、ゆっくりはとっくの昔に絶滅していたことだろう。
今、シャッターを降ろしたキャバレーの裏にある段ボールから、二匹のゆっくりが這いだしてきた。
まりさとれいむという、最近街を歩いていれば五分に一回は見かけるであろうゆっくりたちのスタンダードなカップルだ。
二匹は横倒しになった段ボールの巣から姿を現すと、まずは朝の挨拶をしながらすりすりする。
ゆっくりとお互いの温かな饅頭皮の感触を味わってから、続いて太陽の光を浴びる。

「ゆわぁ……たいようさん、きょうもあったかいよぉ…………」
「ゆっくりできるよ…………。ぽかぽかして、きもちいいよぉ…………」

店の裏に差し込む日光など、たいした量ではない。
しかし、二匹にとってひなたぼっこそのものがとてもゆっくりできるのだ。
起きてからここまでの所要時間は五分。長い前振りがあってから、ようやくまりさとれいむは動き出す。

「きょうもおちびちゃんのためにいちにちがんばろうねっ」
「そうだね。かわいいかわいいおちびちゃんのためなられいむ、いっぱいがんばれるよ」

まりさとれいむはそろって後ろを見る。
段ボールの巣の奥には、置き忘れられたタオルを使って作られたベッドがある。
最悪地べたに直接寝なければならない野良ゆっくりにとって、それはまさに憧れの寝具だ。

「ゆぷ~……ゆぴ~……ゆぷ~…………」
「ゆぅ……むーちゃ……むーちゃ……しゅりゅ……よ…………」

ベッドの中には、二匹が自分の命よりも大事にしてきた赤ちゃんゆっくりがいた。
都会の真ん中で生活する赤ゆっくりだが、まだ帽子もリボンもきれいだし、ぷくぷくと太っていて健康そうだ。
タオルにくるまって寄り添いながら眠る姿を一目見れば、いかに両親に愛されてきたのかが人間でも分かる。
饅頭皮を膨らませながら寝息を立てる長女れいむ。
小さな口をむーちゃむーちゃと動かしながら、よだれを垂らしている長女まりさ。

「ゆふふ……れいみゅ……しょんなにたべれにゃいよぉ…………」
「まりちゃがみちゅけた……あみゃあみゃ……なのじぇ………おかあしゃんと……おとうしゃんにも……あげりゅのじぇ…………」

楽しい夢に顔をほころばせて、くすくす笑っている次女れいむ。
にやけながらもキリッとした顔で寝言を言っている次女まりさ。
全部で四匹。奇跡的に一匹も欠けることなく育ってくれた。
まりさの目が、まばゆい宝石を見るかのように細められる。

最初は「ゆーゆー」「ゆあー」「ゆーう?」と鳴くことしかできなかったおちびちゃん。
小さくて小さくて、すりすりするのもぺろぺろするのも用心しながらしたものだ。
何をしても一緒についてきて、狩りに出かけなければならない時は「ゆぅー!ゆぅー!」と泣かれた。
取ってきた草をかみ砕き、柔らかな粥のようにしてから口移しで食べさせた。
小さなお口の感触と、「むーちゃむーちゃ!ゆぅー!」と喜んでくれる顔に、すごくゆっくりできた。
タオルの中でぽとぽととうんうんをしてしまい泣かれたが、不思議と片づけることが不快ではなかった。
そして今では「おとうしゃん!いっちょにゆっくちちようにぇ!」と喋れるようにもなった。
まりさにとって、赤ゆっくりたちはゆん生最大の宝物だった。

「ゆぅ~ん。れいむのおちびちゃん、すごくかわいいよお。とってもゆっくりしてるよお」
「そうだね。おちびちゃんたちはまりさたちのあいのけっしょうだよ。ぜったいにしあわせーにしてあげるからね」

その気持ちは番のれいむも同じだった。
動物園を拠点にした野良ゆっくりの群れで生まれ育った二匹は、幼なじみだったこともあって当然のように番になった。
今までずっと、苦労とゆっくりを分かち合ってきた大切なパートナーだ。
そんなれいむが、まりさの為にかわいい赤ちゃんを産んでくれた。
ただのまりさだった自分が、すっきりという素敵なことを経てお父さんになれた。
野良の生活は辛い。ゆっくりできないことも沢山ある。いつ永遠にゆっくりしてしまうか分からない。
それでも、今この瞬間、父親としての使命感に燃えたまりさは確かにゆっくりしていた。

「おちびちゃん、まっててね。おかあさんたちがいまからごはんをさがしてくるからね」
「おきたらみんなでごはんだよ。いっしょにゆっくりむーしゃむーしゃしようね」

夢の中でゆっくりしている我が子を巣に残し、二匹は裏道を通って空き地へと向かう。
朝食をこれから見つけなくてはならない。
季節は梅雨。真冬と違い、すぐに餌を帽子にいっぱい集められることだろう。



「ゆーしょゆーしょ。くささん、ゆっくりしてないでぬけてね」
「びーりびーり。くささん、はっぱをもらうよ。おちびちゃんのあさごはんにするからね」

狩りとは言い換えれば、ただの草むしりである。
逃げ回るしサイズも小さい昆虫を目を凝らして探すよりは、草を集めた方が手っ取り早い。
二匹はせっせと、空き地に生えた雑草を集めることに精を出す。
まりさは自慢の膂力をいかして雑草の茎を咥え、根っこから引っこ抜こうとふんばる。
一方れいむは子どもたちの為に、味の良い草を見繕っては柔らかい葉の部分を千切っている。

都会に住むからといって、ゆっくりたちが人間と同じものを食べていると考えるならば、それは誤りだ。
そもそも、山野に住む野生のゆっくりがどんなものを食べているか想像して欲しい。
ゆっくりたちの食べ物は野草、木の実、昆虫など、雑食だがやや草食に偏っている。
種類は少なく美味ではないが、雑草は都会のゆっくりの貴重な餌である。
ゴミを漁ったり人間にたかるゆっくりもいないことはないが、それは都会の膨大な数の野良ゆっくりのほんのごく一部だ。
乾燥させられた雑草の束は、ゆっくりの間では通貨として使われることさえある。
大多数の人間も雑草を抜いて食べている限り、ゆっくりを駆除することもない。

「ゆっ!いもむしさんだよ。ごちそうだね!おちびちゃんきっとよろこぶよっ!」

まりさの目の前を、大きな緑色のイモムシが体をくねらせて逃げている。
すぐにまりさはイモムシの頭に噛み付いて潰し、その動きを封じる。
じゅっとイモムシの体液が溢れ出し、舌に触れると懐かしい美味しさが餡子に電流のように流れる。
子ゆっくりの頃、狩りの得意な父まりさが捕まえてきてくれたイモムシの味だ。
そのままぱくりと口に放り込んでむーしゃむーしゃしたい誘惑にかられたが、まりさは我慢して口から出すと抜いた雑草の上に置く。
これはおちびちゃんにあげるごちそうだ。きっと喜んでくれるよね。
子どもたちの喜ぶ顔が、まりさに今日を生きる活力を与える。

「ゆっ!まりさ、ゆっくりおはよう!ゆっくりしていってね!」

狩りに熱中するまりさたちに、声がかけられた。
空き地にありすとぱちゅりーの二匹のゆっくりが入ってくるところだった。

「ゆゆっ!ありすだね。ゆっくりおはよう。ゆっくりしていってね!」
「むきゅ。ふたりともおはようなのだわ。ゆっくりしてってね!」
「ぱちゅりーもおはよう。ゆっくりしていってね!」

二匹はまりさたちのお家から少し離れた、コンビニの裏を巣にしているご近所さんだ。
商店街に住むゆっくりたちは群れを作っていないが、皆なかよしで助け合いの精神を持っている。
空き地は共同の狩り場であり、商店街のゆっくりならば誰が草を取ってもいいが、取りすぎは禁物である。
ここのゆっくりたちは気性も穏やかでゆっくりとしており、でいぶやゲスまりさもいないので空き地が独り占めにされることもない。

「まりさたちはあさからがんばってるわね。とってもとかいはですてきだわ」
「ゆっへん!まりさはおちびちゃんたちのおとうさんなんだよ。これくらいとうっぜんっだよ!」

ありすの誉め言葉に、あっさりとまりさは気をよくして胸を張る。
まりさは、自分がおちびちゃんたちのお父さんであることを人一倍誇りにしていた。
自分を育ててくれた立派な父まりさのようになれたことが、まりさは嬉しくてしょうがない。
図らずも、ありすの言葉はまりさにとってツボを押さえたものだった。
父親らしい堂々とした態度に、側にいたれいむは改めて惚れ直す。

「ゆーん!まりさあ。れいむすごくうれしいよお。すーりすーり!」
「ゆっゆっ!すーりすーり!れいむとすーりすーりするととってもゆっくりだよ!ゆっくりー!」

朝から熱々なカップルを見せつけるまりさとれいむ。
二匹は初々しい子まりさと子れいむであるかのように、見つめ合ってからすーりすーり、再び見つめ合ってすーりすーりを繰り返している。

「むきゅきゅ。あまりじゃまをしないほうがいいみたいね」
「そうね。おじゃまむしのありすたちはたいさんするわ。ゆっくりがんばってね!

空気を読むありすとぱちゅりーは、二匹に苦笑しながらそっとその場を離れた。
少し離れた場所で草むしりを始めようとしたのだ。
隣人の気遣いにも気づかず、まりさとれいむはしばらくの間、新婚さんのような熱いちゅっちゅを交わしていたのだった。



父まりさから狩りの特訓を受けたまりさによって、すぐに帽子の中は取りたての雑草でいっぱいになった。
イモムシが三匹も見つかった今日は大収穫と言ってもいい。
まりさとれいむは意気揚々と、子どもたちの待つ段ボールハウスに帰還する。
これは帰宅ではない。子どもたちのために戦利品を手にしたゆっくりの凱旋だ。

「ただいま!おちびちゃん!ゆっくりいいこにしてた?」
「おちびちゃん!おかあさんとおとうさんがかえってきたよ!ゆっくりしようね!」

待ちきれないとばかりに、ぴょんぴょんとタオルのベッドから飛び出してくる子どもたち。

「ゆっくちおはよう!おかあしゃん!ゆっくちちていってにぇ!」
「ゆっくちちてたよ!ゆっくちー!ごはんしゃん!ごはんしゃん!」
「ゆーん!おとうしゃん、おはようなのじぇ!まりしゃいいこにしてたのじぇ!」
「ゆっくちおはよう!おかあしゃん、おとうしゃん、れいみゅもうおなかぺこぺこだよ!ごはんしゃんにちようにぇ!」

四匹とも、まだ小さな赤ちゃんゆっくりだ。
一瞬たりともじっとしていないその体には、元気な餡子がいっぱいに詰まっている。
きらきらと輝く瞳は、世界中のすべてと一緒にゆっくりできると信じきっている。
子どもたちはれいむはもみあげを、まりさはお下げをぶんぶんと振り回して元気よく朝の挨拶だ。

「ゆふふっ。だいじょうぶだよ。きょうもいっぱいおいしいくささんをとってきたからね!」
「いもむしさんもあるよ!やわらかーでとってもおいしいよ!」

明るくゆっくりした子どもたちの声に、まりさとれいむの疲れは一瞬で吹っ飛んでしまった。
寂しがりで臆病なゆっくりは、仲間を求めて一緒にゆっくりしたいという欲求がとても強い。
だからゆっくりは番になり、すっきりして赤ちゃんを作る。
赤ちゃんこそ、ゆっくりがゆっくりできる一番の宝なのだ。
それを目の前にしたまりさとれいむは、幸せで餡子がほくほくに温まっていくのを感じた。

お日様の光よりもずっとあったかいよ。
おちびちゃんが側にいるだけで、こんなに幸せになれるなんて夢みたいだよ。

「ゆーん!いもむししゃん!れいみゅしゅごくうれちい!ありがちょうにぇ!」
「ゆっ……くさしゃん……ちょっとにがにがでおいちくないにぇ……」
「まりちゃ……ゆめでみちゃあみゃあみゃしゃんが……たべたかったのじぇ…」

長女れいむはイモムシというごちそうに目を輝かせたが、次女れいむと次女まりさはやや浮かない顔をしている。
確かに、汁気たっぷりのイモムシに比べれば、雑草は繊維質で味も苦い。
一番苦い茎や根は両親が食べてあげるのだが、それでも赤ちゃんゆっくりには雑草の苦さはきついものがあるのだろう。
まりさたちは一度だけ、捨ててあったドーナツをみんなでかじったことがある。
あの砂糖がたっぷりとかかった、ふんわりとしていい匂いのするあまあまは、ゆん生で最高の食事だった。
忘れようとしても忘れられるものではなかった。次女まりさが夢に見るのも無理はない。
しかし、すぐに長女たちが二匹をたしなめる。

「ゆぅ!だみぇだよ。おかあしゃんとおとうしゃんがゆっくちちないでとってきてくれたごはんしゃんだよ!もんくはめっ!だよ!」
「しょうだよ!あみゃあみゃしゃんはおいわいのときのごちそうにゃんだよ!いつもむーちゃむーちゃちたらおくちがおかちくなっちゃうよ!」
「……そうだにぇ。ごめんなしゃい、おとうしゃん、おかあしゃん……」
「ゆん!まりちゃはいけないゆっくちなのじぇ!ごめんなしゃい!」

何とも仲の良い一家だ。
長女二匹が注意すれば、あっさりと次女たちは両親に謝る。
次女二匹も分かっているのだ。
雑草に少量の昆虫というメニューが自分たちの主食であること。そしてあまあまなんてものはめったに手に入らないものであること。
わがままが怒られ、れいむはもみあげを振るわせ、まりさは帽子を目深にかぶってしゅんとしてしまった。

「ゆーん!おちびちゃんたちはとってもいいこだね。ありがとう、おねえさんまりさにおねえさんれいむ。おかあさんはうれしいよ!」
「おちびちゃん、いつもくささんでごめんね。こんどはあまあまなきのみさんをみつけてくるからね。すーりすーり」

子どもたちの素直な様子に、まりさとれいむは喜ぶ。
気だてがよく妹の面倒を見るお姉さん。ちょっとわがままだけど、注意されればちゃんと謝れる妹。
これ以上望むものもない、理想の家族だ。
まりさはにこにこ笑いながら、しおらしくしている次女れいむと次女まりさにすりすりしてあげる。
あっという間に、二匹の機嫌は直ってしまった。

「ゆぁぁ……おとうしゃんのほっぺ、あったかくておおきくてゆっくちちてりゅよぉ……」
「しゅーりしゅーり、ゆっくちー!まりちゃとってもゆっくちなのじぇ!うれちいのじぇ!」

だが、それを見て黙っていられないのがお姉さんたちだ。
まだ長女たちも両親に甘えたい盛りである。

「じゅるい!れいみゅもしゅーりしゅーりしちゃい!しゅーりしゅーりしゅりゅ!」
「まりしゃもしゅりゅ!しゅーりしゅーりちてゆっくちちたい!」
「はいはい、おかあさんがぺーろぺーろしてあげるよ。ぺーろぺーろ。ゆっくりできるよね?」

と、そこでれいむが仲裁に入る。
れいむは大きくてあったかい舌で、口々に羨ましがるお姉さんの頬を優しく舐めてあげる。
ぺーろぺーろ、とれいむがしてあれば、長女れいむと長女まりさも一瞬で満足だ。

「ゆぅーん!きもちいいにぇ!おかあしゃんにもちてあげりゅよ。ぺーりょぺーりょ!」
「ぺーりょぺーりょ!おかあしゃんのほっぺたゆっくちちてておいちいにぇ!」

しばらくの間まりさの家族は、食事を取ることも忘れてゆっくりしたスキンシップを満喫していた。
やがて、まりさが帽子から今日取ってきた草を取り出し、各自の前に等分して置く。
特に育ち盛りの子どもたちは、慎重に量が同じになるようにした。多い少ないで喧嘩が起こればゆっくりできないからだ。
子どもたちは雑草の上に置かれたイモムシに「わきゅわきゅ♪」と口に出してうずうずしている。
早く小さなお口いっぱいに幸せを頬張りたいという気持ちがよく分かる。

「それじゃあいくよ!」
「いっしょにいおうね!」

両親が音頭を取って、家族は一斉に食事を始める。

「「ゆっくりいただきます!」」
「「「「ゆっくちいただきましゅ!」」」」

まりさとれいむは、新鮮な雑草の葉っぱを舌で掴み、口に放り込む。
子どもたちは我先にと顔を雑草とイモムシの山に突っ込み、顔中を口にしてその二つにかぶりつく。

「「むーしゃむーしゃ…………」」
「「「「むーちゃ!むーちゃ!……」」」」

もーぐもーぐと噛めば、歯の間から草の汁がにじみ出してくる。
ちょっと苦いけれど、慣れてくるとこれはこれですっきりとした後味が悪くない。
イモムシは香りがよく、食感も最高だ。
家族は一同で、ご飯を食べられるゆっくりに浸ろうとしていた。
ごくりと飲み下せば、「しあわせー!」「ちあわしぇー!」の声がほとばしり出るはずだった。

「ゆぅ!」
「ゆっ!」
「ゆぐっ!」
「ゆぶっ!」
「ゆがっ!」
「ゆぎっ!」

だが、次の瞬間まりさたちはそろって目を見開いた。
形容しがたい不快感が、体の奥底から沸き上がってくる。
強烈な吐き気が押し寄せてきた。喉が痙攣し、食べたものを飲み込めない。
それどころか、激しい痛みが歯茎と口内を埋め尽くす。
草の汁とイモムシの体液が触れた箇所が、火傷したかのように非常に痛む。

「「ゆ……ゆっ……ゆ゙っ!ゆ゙っ!ゆぶごぉぉぉぉぉ!ごれどぐっ!どぐはいっでるよぉおおおお!」

まりさとれいむは、そろって口からかみ砕いた雑草を吐き出した。
ドロドロになったゲロが家族の食卓にまき散らされる。

「「「「ゆげぇぇぇぇぇぇぇぇ!おげぇぇぇぇ!にぎゃい!おぐぢっ!おぐぢっ!ぐりゅぢいぃいいい!」」」」

それは子どもたちも同じだった。口から緑色の汁をげえげえと吐き、さらに口内の痛みを口々に訴えながら転げ回る。
幸せそのものの食卓が一転して、食中毒の現場に変わっていた。
これが、すべての始まりだった。
これ以降家族の幸せはもぎ取られ、二度と再び味わうことはできなかった。
街に住む野良ゆっくりが一匹残らずゆっくりできない、悲惨な生き地獄が始まろうとしていた。


***


いつものように、俺は出版社と打ち合わせをするために早朝家を出た。
アパートの一階が俺の家だ。
ドアを開けてすぐ、足元にうずくまっていたゆっくりに靴をぶつけるところだった。
「危ないぞ」と俺が注意する前に、そのゆっくりれいむはすがりつくような目で俺を見た。

「にんげんさん!おねがいします!れいむたちにたべものをわけてください!」

たち、と言うからにはきっと子どもがどこかにいるのだろう。
れいむの上から下までを見る。
外見はどこにでもいる野良ゆっくりだ。
やや汚れているが極端にみすぼらしくない。この都会に何百、何千、もしかしたら何万といるゆっくりの一匹に過ぎない。
髪の毛を見たが、バッジがあるようにも見えない。
つまり、俺には何の関係もないゆっくりだ。写真に撮って記事にする価値もない。

「まってください!まってぇぇぇええええ!」

俺はれいむを無視し、家の鍵を閉めてから足早に立ち去った。
餌をあげる理由がない。
どうせ、どこかで食べた菓子の味が忘れられなくて人間にたかりに来たのだろう。
あんなでは長生きできるはずがない。
この街はゆっくりにかなり寛容な街だと思う。
大規模な駆除も行わず、飼いゆっくりと野良ゆっくりが共存している街というのは全国の市町村の中では珍しいだろう。
こんな場所だからこそ、ゆっくりを主なネタにするジャーナリストである俺も何とか食っていけるのだ。

バス停に向かう途中で、二匹のゆっくりに出会った。
最初に出会ったのは、ポストの影にいたまりさだ。

「おいにんげん!さっさとまりささまにごはんをもってくるんだぜ!あまあまでがまんしてやるんだぜ!」

都会で生きていて、ここまで人間に対して無知なゆっくりも最近少ない。
たいていのゆっくりは卑屈に人間に目を合わせず、こそこそと物陰に隠れる。
こいつは人間になめた口をきいて、無事でいられると思っているのだろうか。

「まりさをむしするんじゃないぜ!はやくよこすんだぜ!とろいんだぜ!まりさにせいっさいっされたいのぜ?」

こういうゆっくりは放置しておくとよくない。
ゲスが一匹群れに混ざると、二十匹の野良ゆっくりがゲスに堕落するという調査結果があったのを思い出した。
俺は靴でまりさの顔面を思いっきり踏みつけた。

「ゆぶべぎゃぁっ!」

ズボンの裾が汚れるのを躊躇したため、ゲスまりさを即死させることはできなかった。
だが、まりさの下顎は踏み潰され、周囲に餡子が飛び散った。
これならもう餌を貪ることもできず、やがて衰弱死することだろう。

「……ゆ゙っ……ゆ゙っ…ゆ゙っ…ごべ……な……ざい……ゆ゙っ…ゆ゙っ…だず……げ……で………」

苦痛にもがきながら壊れた口で謝罪していたまりさだが、俺は無視した。
今は忙しい。自分の渾身の記事が編集にどう思われたのか、考えるだけで胃の辺りがキリキリ痛む。
俺は少しだけ街の環境美化に貢献した自己満足を糧に、バス停への道を急ぐ。

「おねがいしましゅ!ありしゅにごはんしゃんをくだしゃい!おかあしゃんがおなかをしゅかせていりゅんでしゅ!」

バス停では、赤ありすが並んでいる人間に餌を恵んでくれるよう頼んでいた。
当然、誰もありすを気に留めない。
ある男性は一心にケータイをいじり、ある女性たちはお喋りに余念がない。
俺も、ありすに餌をやる気のない人間の一人だ。
最後尾に並び、バスが来るまでの暇潰しにありすを見ているだけだ。
ありすはバスが来て俺たち全員が乗り込むまで、ワンパターンな頼みを繰り返していた。

バスが信号で止まると、外からゆっくりの声が聞こえる。

「おねがいだよおお!にんげんさん!にんげんさあああん!」
「ごはん!ごはんください!なんでもいいからください!おねがいです!おねがいですうう!」

職業柄、ゆっくりの声がするとそちらを見てしまう。
信号機の近くで、れいむとまりさの番が通行人に頭を下げながら物乞いをしていた。
誰も立ち止まらず、二匹は無駄に大声を出している。
無様な光景だ。
だいたい、都会でもゆっくりは雑草を食べ、側溝の水を飲み、何とか食いつないでいる。
人間の食べ物を欲しがるのは、甘えでしかない。
信号が青に変わり、俺はすぐに二匹のことを忘れてしまった。



「にんげんさん!まりさたちにあさごはんをください!おねがいします!」
「どんなものでもいいんです!なまごみでも!ざんぱんでも!むーしゃむーしゃしてしあわせーっていいます!」
「おねがいです!おちびちゃんが!れいむたちのかわいいおちびちゃんがおなかをすかせているんです!ごはんをください!」
「おねがいじまふ!ばりざはっ!むれのみんなにごはんをどっでごないどいげないんでず!みんなのだめなんでず!」
「ゆわあああああん!おなかしゅいちゃよおおおおお!ごはんしゃんたべちゃいよおおおおおおお!」
「ゆぇえええええん!ゆぇえええん!むーちゃむーちゃ!ごはんしゃんむーちゃむーちゃしちゃいよぉおおおおお!」

駅に着いた俺は唖然とした。

「何でこんなにゆっくりが多いんだよ…………」

駅前の広場には、非常にたくさんのゆっくりが並んでいた。
ゆっくりたちは口を開き、てんでばらばらに大声でわめき立てる。
普段の朝の駅は、電車に乗る人たちの喧噪で騒がしかったはずだ。
だが、今は人間の足音も話す声もたいした音量ではない。
圧倒的にゆっくりの叫ぶ声がうるさい。

タイミングも口調も内容もばらばらだが、言いたいことは皆同じだ。
お腹が空いた。ご飯を恵んで欲しい。何でも食べます。
確かに今は一年を通じて最も子育てが行われる時期だ。
食べ盛りの赤ゆっくりどもを抱えて、親ゆっくりたちが食料集めに駆け回るのはよく見てきた。
しかし、これは異常だ。
これほどの数のゆっくりが人前に出て、人間に餌をねだる光景は初めて見た。

「ぞごのおにいざん!やざじぞうなゆっぐりじだおにいざん!おねがいでず!れいぶにごはんをめぐんでぐだざい!」

興味深げに足を止めて見ていたせいで、俺は一番近くにいたれいむに捕まってしまった。
れいむは俺の足元に跳ねてくるなり、靴にすーりすーりするんじゃないかと心配するほど近くまで顔をくっつける。
さすがに触れることはない。人間に触ると怒られると分かっているのだ。
れいむは俺の顔を見上げ、俺が最後の希望と言わんばかりの勢いでまくし立てる。

「ごべんなざい!ゆっぐりじでなぐでごめんなざい!でもぎいでぐださい!おねがいでずがらぎいでぐだざい!
れいぶにはがわいいおぢびぢゃんがいまず!れいぶぞっぐりのおぢびぢゃんと、まりざぞっぐりのおぢびじゃんがいるんでず!
おぢびぢゃんはきのうがらなにもだべでいまぜん!おなががずいでゆーゆーぐるじぞうにないでいまず!
おねがいじまず!ほんのちょっとでいいんでず!ごみでいいでず!たべのこしでいいでず!だがら!れいぶにごはんを!くだざいいいいい!」

俺の都合や思考など関係なく、れいむはひたすらお願いするだけだ。
人間とゆっくりとは、同じ言葉を喋れるだけで感覚が違いすぎる。
人間ならば、俺の機嫌を取ろうとあの手この手で俺をおだてたり、ゴマをするはずだ。
れいむはただ、自分がいかにかわいそうで子どもがいかに空腹かを叫ぶだけしか能がない。
まるで、コミュニケーションが取れない。

れいむの外見に注目してみたが、家を出る時に見たれいむと大差ない。
どこにでもいる、ごく普通の野良ゆっくりだ。
多少汚れているが、普段からゴミを漁るゆっくりではない。
生ゴミを主食にするゆっくりは、このれいむとは段違いに汚れているし、異臭もする。
どう見ても、人間にかかわらず雑草などを食べて生きてきたゆっくりにしか見えない。
それがなぜ、今になっていきなり人間にたかる?
記事のネタにはなりそうだが、今はインタビューする暇がない。

「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!おねがいでず!おねがいでず!おねがいでず!おぢびぢゃんがじんじゃいまず!じんでじまいまず!
だめえええええ!もどっでぎで!もどっでぐだざい!もどってきでぐだざい!もどっでもどっでもどっでもどっでもどっでえええええ!」

俺は電車に乗るため駅に向かった。
後ろでは、次第に遠ざかっていく希望にれいむが惨めな声を出していた。
きっと、俺が帰ってくる時も同じように物乞いをしていることだろう。
俺にはれいむの境遇よりも、自分の原稿がボツにならないかの方がずっと気がかりだった。


***


「どうなってるんだ…………」

あれから四日後、俺はビデオカメラの映像をパソコンで編集しながら呟いた。
俺はここ数日街を歩き回り、ゆっくりたちの変化を記録していた。
今は人間の顔にモザイクを入れている。
別に虐待現場を写したわけではないし許可も取っているのだが、プライバシーの保護には必要な作業だ。

映像は、街のあちこちで起きたゆっくりたちの変化を映し出している。
まずは、ゴミを出す人間に群がるゆっくりたち。
指定のゴミ袋にゴミを入れ、カラスや野良猫除けのネットを持ち上げる初老の女性に、数匹のゆっくりが頼み込む。

「おっ!おっ!おねがいでず!おねがいでず!にんげんざん!ぎいでぐだざい!」
「ぞのごみざんを!ごみざんをばりざにぐださい!ばりざにたべざぜてくだざい!」
「ごみでいいんでず!なまごみでじゅうぶんでず!おちびぢゃんにたべざぜであげだいんでず!」
「おぢびぢゃんががわいぞうなんでず!おうぢでないでいまず!おなかいっぱいにじであげたいんでず!」
「にんげんざん!ぎいでね!ぎいでね!ゆっぐりぎいでね!ぎいでぐれるよね!れいぶのおねがいぎいでぐれるよねええ!?」
「おねがいだよお!おなかすいてるんだよおおおお!みんなないてるよおおおおおおおおお!」

足元にすがりつき、顔を道路にこすりつけ、ゆっくりたちは恥も外聞もなく人間に懇願する。
本当に、この生ゴミ以外食べるものがないらしい。どのゆっくりの顔も必死で、ゴミ袋に目が釘付けになっている。
一匹のまりさに至っては、ゴミ袋にすりすりしながらよだれをぽたぽたと垂らしている。
女性は大きくため息をついてから、ネットの根本についている機械のボタンを押した。

「ドスだよ!ゆっくりは聞いてね!ゴミさんは人間さんのものだよ!すぐにいなくなってね!」

最近開発された、ドスまりさの口から出る超音波を再現し、ゆっくりの行動をある程度制限するスピーカーだ。
ゆっくりに対して効果は抜群だが、やや高価なため街のすべてのゴミ捨て場に設置されているわけではない。
中枢餡に直接響く命令により、ゆっくりたちは一瞬体を硬直させた後、ぴょんぴょんと後ろ向きに跳ねながらゴミ捨て場から遠ざかっていく。

「あああああ!ゆあああああああ!」
「やだあああああ!ごみさんたべだい!たべだいたべだいたべだいたべだいいいいい!」
「まっでぐだざい!おねがいじまず!おねがいじまず!おねがあああああああ!」
「ひどいよおおお!ごみでしょ!ごみなんでしょ!だったられいむにちょうだいよおおおおおおお!」
「ごめんねええええ!おちびちゃんほんとにごめんねえええええ!」

続いての映像は、公園で物乞いする赤ゆっくりたちだ。
ベンチの下で、四匹の赤ゆっくりたちがOLやビジネスマン相手に頭を下げて頼んでいる。
れいむ×2、まりさ、ありすという顔ぶれだ。
同じ親から生まれたゆっくりである可能性は限りなく低い。
恐らく、二つの家族の赤ゆっくりが一緒になって物乞いをしているのだろう。
赤ゆっくりたちは懸命に声を張り上げ、少しでも気を引いてもらおうとしている。

「ゆっくちきいてくだしゃい!にんげんしゃん!れいみゅたちはおなかしゅいていりゅんでしゅ!」
「にゃんでもしましゅ!おうたうたいましゅ!だんすもしましゅ!」
「ゆっくちできたらごはんしゃんをくだしゃい!あみゃあみゃじゃなくてもいいでしゅ!」
「ごみしゃんでも、にがにがでも、くしゃいくしゃいでもいいでしゅ!」

誰一人聞いていないと分かると、さらに切羽詰まった様子で赤ゆっくりたちは叫びだした。
最初はまだ余裕があった。だが今は赤ゆっくりたちの表情が違う。
切実な飢えに、顔が醜く歪んでいる。

「おにぇがいでしゅ!れいみゅのおにぇがいきいてくだしゃい!にんげんしゃん!にんげんしゃん!」
「いっしょうけんめいおしごとしましゅ!くつしゃんをぺーりょぺーりょできれいきれいにしましゅ!」
「おなかがしゅいたんでしゅ!おかあしゃんもおとうしゃんもおなかぺこぺこでしゅ!」
「なんでもたべましゅ!おくちでもーぎゅもーぎゅできればなんでもいいでしゅ!」

大きさからして、普通ならば巣の中でぬくぬくとゆっくりしている年齢だろう。
それが、両親から離れてこうして外で人間相手に乞食をしている。
四匹の赤ゆっくりたちは、一匹もゆっくりしていない。

普通自分に気を引いてもらう時、赤ゆっくりは自分がいかにかわいいかをアピールする傾向にある。
「ゆ~♪」とお歌を歌ったり、ぴょんぴょん跳ねたり、のーびのーびしたり、ぷりんぷりんと尻を振ったり、どれもかわいい自分を見て欲しいからだ。
しかし、この映像の赤ゆっくりたちは、惨めったらしい顔で人間に頭を下げるだけだ。
自分たちがかわいいなどとはちっとも思っていない。
とても思えないだろう。こんな卑しいことをしなければならない苦痛に、赤ゆっくりたちが涙をこらえているのがよく分かる。

最後は、親子で街頭に立つゆっくりの映像だ。
親子で物乞いをしていたらしい二匹だが、まったく収穫はなかったと見える。
体内の餡子の量が多い親れいむはまだ余裕があるが、その側で髪の毛に隠れていた赤まりさは餓死寸前だ。
俺が見つけた時、既に赤まりさはもうろうとした意識で呟いていた。

「ゆぅ……ゆぅ……おなか……しゅい…ちゃ……のじぇ…………」
「だめえええええええ!おちびぢゃん!でいびゅのだいじなおぢびぢゃん!ぢなないで!ぢなないでよおおおおおおおおおお!」

帽子が赤まりさの頭から落ちて道路に転がった。
危険な兆候だ。普通どんなにまりさが暴れても不思議と帽子は落ちない。
もはやまりさが死ぬまでの時間は秒読み段階に入った。
れいむはかさかさになった我が子の顔にすりすりしながら、必死に呼びかけている。

「おか……しゃ…ん。しゃいご……に……あみゃあ……みゃ……むーちゃ…む…ちゃ……ちたかった……の……じぇ」

そう言うと、赤まりさは餓死の苦しみに顔を歪ませながら目を閉じた。
安らかに眠りについたのではない。意識が途切れる最後の瞬間まで、赤まりさは苦しんだだろう。

「おぢびぢゃぁぁあああん!まっででね!いまずぐあまあまどっでぐるがらねえええええ!」

れいむは涙と涎をまき散らす汚い饅頭となって、めちゃくちゃに通行人に訴える。

「にんげんざああああん!にんげんざああん!おねがいでず!たちどまっでぐだざい!れいぶをみでぐだざい!ごっぢをむいでぐだざああい!」

たまたま、近くを通りかかった男性がいた。
音楽を聞いていて、れいむの存在に気がつかなかったらしい。そうでなかったら、あんな不気味なゆっくりに近づくはずがない。

「ゆぶううううう!!にんげんざんだよおおお!にんげんざん!にんげんざん!にんげんざんにんげんざんにんんげええんざあああん!
ずできなにんげんざん!ゆっぐりじだにんげんざん!れいぶだいずぎにんげんざんだいずぎゆっぐりじでねじでねおねがいじでねねえええ!」

れいむは男性の足元に球体の癖に巻き付くようにしてすがりつき、ものすごい勢いで叫ぶ。
気が触れたかのような勢いだ。
男性は歩みを妨げられて、ようやくれいむの存在に気づいたらしい。
不愉快そうな顔で下を見る。
子どもを助けたい一心のれいむは、男の表情など一切気にしていない。

「だずげでだずげでだずげでだずげでえええ!おねがいでずおねがいでずおぢびぢゃんがじにぞうでぐるじぞうでゆっぐりじでなぐで!!
おねがいでず!おねがいでず!でいぶのおねがいぎいでぐだざい!ゆっぐりぎいでぐだざいおねがいじまぶにんげんざんきいできいできいでええ!
あまあまあまあまあまあまあま!!あばあばぐだざいぐだざいぐだざいおぢびぢゃんゆっぐりおながいっぱいゆっぐりむーじゃむーじゃゆっぶぶぶう!」

舌を噛んだのか息が続かなくなったのか。
デメキンのように目を飛び出させて叫ぶれいむは、ブタそっくりの音を口から出して痙攣した。
勝手に出てきて、勝手に喋り、勝手にぴくぴく震えているゆっくりを、男性は汚いものを見る目で見た。
当然だろう。俺は少々男性に同情した。
あんな奇怪なゆっくりを見れば、その日のテンションが下がることは請け合いだ。

「きたねえな。触るんじゃねえよ」

蹴り殺されなかったのが不思議なくらいだ。
男性はれいむから足を遠ざけ、再び歩き出した。
取り残されたのは、息切れで痙攣を続けるれいむだけだ。
しばらくれいむは信じられない様子できょとんとしていたが、遠ざかる男性の背中に跳び上がって絶叫した。

「まっでええええ!まっでまっでまっでまっでまっでええええ!おぢびぢゃんにあまあま!あまあま!あばあばばばばあああああ!
ぐだざいぐだざいぐだざいおねがいぐだざいあばあばあばあばあばあああばばばあああばあばばああばああばっあっああっあばばあっ!」

れいむにはヒップホップの才能は皆無だった。
しばらくれいむはゆっくりとは思えない不気味な叫び声を上げていたが、不意にがっくりとうなだれた。
突然の落ち込みように、俺は少し興味がわいた。
そのままビデオカメラで録画していると、れいむはずるずると赤まりさの側に戻った。
赤まりさは目を閉じたまま、身動き一つしない。
れいむはそれを見ると、再び涙を流して大声を上げる。
感情の起伏が異常に激しい。案外、このれいむは中枢餡に怪我をしているのかもしれない。

「おぢびぢゃんごめんねえええ!ずーりずーりじてあげるからゆっぐりじでねええ!……ずーりずーり……ゆ?ゆゆゆ?……ゆ?
おぢ……び…ぢゃん?どうじて……ゆっぐりじでるの……?おめめ……あげでよ……。なにか……いっでよ……?」

ここでようやく、れいむは我が子の異変に気づいた。
赤まりさは何の反応もせず、喋ることもなければ目を開けることもない。
苦悶で歪んだ顔のまま、赤まりさは死んでいた。

「おぢび……ぢゃ…おぢびぢゃ……ん…じんで……じんでる……じんで?……る?……じんでる……じんでる……じんでるうううううう!!」

れいむは認めざるを得なかったようだ。
あれだけ必死にすがりつき、恥を捨て、虫けらのようになって人間にお願いしたのは、子どもを助けるためだ。
だが、徒労に終わった。
赤まりさは死んだ。
自分のせいで。自分がご飯を持ってこられなかったせいで、赤まりさは死んだ。
れいむが悪い。れいむが全部悪い。れいむはゆっくりしていない最低のゆっくりだ。
きっと、そんなことを考えて自分を責めたに違いない。

「ぱぴぷぺぽおおおおおお!ぱいぃ!ぷぴいっ!ぺぺっぺ!ぱぽおおおおおお!ぱぴぷっ!ぺぽ!ぽぽぽぱああああああ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!」

れいむはあっさりと発狂した。
「ぱぴぷぺぽお!ぱぴぷぺぇ~~~~~ぽっ!」と大声で叫びつつ、れいむは赤まりさの死体の周りをぴょんぴょんと跳ね回る。
その姿は、普通の人が見たら吐き気がするほど醜悪だった。
目玉をぎょろぎょろと動かし、舌を振り子のように振り回し、れいむはめちゃくちゃに暴れる。
もう、れいむがゆっくりを感じることは一生ないだろう。

「これで一つ記事が作れそうだな」

俺はこの異変に、特ダネの臭いをかぎ取っていた。
きっと、これは面白いことになりそうだ。


***


「ゆっくり……あさだよ、れいむ……」
「おはよう……まりさ。きょうもゆっくり…しようね」

目が覚めてしまった。
まりさのぜんぜんゆっくりできない一日が始まってしまった。
もっと夢の中でゆっくりしていたかったのに。
そう望んでも、一度目覚めてしまった意識は眠りに入ることを許さない。
今までなら、楽しくぼんやりとゆっくりした時間を楽しめたものだ。
しばらくゆっくりしていても、空き地に行けばいくらでも食料が手に入る。
今は違う。
丸一日必死でかけずり回らなければ、自分も家族も餓死から逃れることはできない。
まりさはれいむと顔を見合わせ、深いため息をついた。

「きょうも……まりさはがんばるよ。おちびちゃんのためだもん……」
「れいむも……いっしょうけんめい…おてつだいするよ……まりさ」

たとえ自分はゆっくりできなくても、せめて子どもたちだけは少しでもいいからゆっくりを味わってほしい。
ゆっくりに生まれたのだから、ゆっくりするという楽しみを忘れないでもらいたい。
まりさとれいむは、空元気であると分かっていながら、お互いに微笑みを交わす。

二匹はすっかり汚れてしまった。
ほんの少し前までは、汚れといっても体や帽子に土や砂がついただけだ。
ちょっと水場でざーぶざーぶ洗えばすぐに落ちたし、番にぺーろぺーろしてもらえば簡単にきれいになった。
今は違う。
今二匹の体と髪と帽子とリボンを汚く染めた汚れは異なる。
それはどぶの底にたまったタールのような泥であり、ゴミ箱に付着した生ゴミの汁の汚れだ。
まりさの自慢だった帽子は、生ゴミのすえた臭いがする。
れいむの可憐なリボンは、あちこちが黒く染みになって取れない。
ゆっくりしていない自分たちの姿が、まりさとれいむには悲しくて仕方がなかった。

タオルのベッドの中から、もぞもぞと四匹の子どもたちが出てきた。
惨めにも、子どもたちもまりさと同じように汚れている。
今まで、家族そろって外に出るときは、ピクニックや冒険のような楽しいイベントの時だけだった。
それ以外の時は、子どもたちは巣の中でおとなしく両親の帰りを待っている。
今は違う。
家族総出で外出し、地べたにはいつくばって餌を探さなくてはいけない。
悲惨な日々は、子どもたちの顔から笑顔をはぎ取ってしまった。

「おかあしゃん……おにゃかしゅいた…………」
「とりたてのくさしゃん……またたべちゃいよぉ………」
「ちょっとにがいけど……じゅーしーでおいちかったのじぇ……」
「なまごみしゃん……くしゃくて……まじゅくて……たべたくにゃいよぉ……」

四匹の赤ゆっくりたちは、ぼそぼそと力のない口調で空腹を訴える。
かつては苦くておいしくないと言ったあの雑草を、もう一度お腹いっぱい食べたいと言っているのだ。
排水溝の中と同じ臭いのする子どもたちは、目に涙をためて楽しかった日々を、お腹いっぱい食べられた日々を懐かしんでいる。

「ごめんね……ごめんね……ごめんね……。でも……もうそれしかたべられないんだよ」
「そうだよ……。またくささんをたべたら……あんこさんをはいてずっとゆっくりしちゃうよ」

まりさとれいむは、自分たちが悪くないにも関わらず謝りながら慰めるしかできない。
もう、家族は空き地に生えている雑草を食べることは不可能だ。
一口かじっただけで口の中は腫れ上がり、チャッカマンを突っ込まれたかのように激しく痛む。
我慢して飲み込んでも、体内の餡子が受け付けてくれない。
全身がよじれるかのようなすさまじい苦痛と共に、口から全部吐き戻すことしかできない。

「ゆぅぅ……ゆぇぇぇん……ゆぇぇぇん…………」
「おにゃかしゅいたよぉ……ゆっくちできにゃいよぉ…………」
「かなちいのじぇ……まりしゃ……しゅごくかなちいのじぇぇぇ…………」
「ゆっぐ……ゆっぐ……ゆっぐちぃ……ゆっぐちぃ……ゆっぐぢぢだいよぉ……」

両親にすりすりしながら、ついに子どもたちは我慢の限界を超え、ぽたぽたと涙をこぼして泣き始めた。
あれから、家族は餌を見つけるために奔走した。
どうにかして食べられる雑草を見つけようとしたが、数回餡子と一緒に草を吐いてから理解した。
こんなことを繰り返していたら、命に関わる。

結局、まりさたちは都会に暮らす他のすべてのゆっくりがしていることと同じことをするしかなかった。
道ばたに投げ捨てられたゴミを漁り、どぶに入り込んでゴミを探し、ゴミ捨て場に忍び込んでゴミ袋を食い破る。
腐りかけた生ゴミが、家族の主食になった。
それ以外は、道行く人間に土下座をして餌を恵んでもらうしか方法がない。
人間にすがり、プライドをかなぐり捨てて卑しいゆっくりを演じ、少量の餌に涙を流して感謝する。
人間の嘲笑、嫌悪、侮蔑、ありとあらゆるゆっくりできない感情が、まりさの家族を痛めつける。

「ゆっ……そろそろいこうね。ごはんをさがさないと…………」
「やさしいにんげんさん……たくさんいてほしいな……」

ひとしきり子どもたちが泣いた後、まりさとれいむは暗い顔で言う。
どうあがこうと、食事がなければ飢え死にしてしまう。
それだけは、死ぬことをことのほか恐れるゆっくりにとって、回避したい末路だった。

「いいてんきだね……。たいようさん、ゆっくりしていってね」

まりさは眩しさに目を細めつつ、日なたに一歩あんよを踏み出す。
全身が太陽の光を浴びた。

「あ……あ……!あづいいいいいいいいいい!あづいっ!あづいっ!あづいいいいい!」

突然、強烈な痛みがまりさの全身を包んだ。
日光を浴びた饅頭皮が、光を見た目が、真夏のアスファルトに押しつけられたかのように焼ける。

「ば…ばりざああああ!どぼじでっ!どぼじであづがっでるのおおおおお!」

その場で悶えるまりさにただならぬものを感じたれいむが、自分も日なたに飛び出した。
れいむにも同様の苦痛が等しく与えられる。

「ゆぎいいいいいい!あづいい!あづいよ!だいようざんあじゅい!あづいいいいいい!」
「ゆっぐりできないいいいいい!」
「いだいよおおおおおお!いだいいだいいだいいいいい!」

ぐねぐねと体をくねらせながら、まりさとれいむは日陰に、子どもたちのいる段ボールハウスに逃げ込んだ。

「あっ!いだ!い!い!だっ!いだいっ!」
「いだいよおお!あづがっだ!あづがっだよおおお!」

ほんのちょっと日光の下にいただけなのに、二匹の饅頭皮は見る見るうちに腫れ上がり、痛々しい赤色に変わってきた。
火傷だ。タバコの火を押しつけられたときと同じ傷が、まりさとれいむの体にできている。

「ゆぁぁぁ……きょわいよぉぉおおお……」
「ゆっくち…ゆっくちぃ…………」

両親の苦しむ様子に、子どもたちはすっかり怯えていた。
特に気の弱い長女れいむと次女れいむは、少しだけしーしーを漏らして震えている。

「おかあしゃんだいじょうぶ?いちゃいの?」
「ぺーりょぺーりょ。おとうしゃん、ゆっくちなのじぇ……いちゃくないのじぇ……」

長女まりさと次女まりさはすぐに状況が飲み込めたらしく、心配そうに両親に跳ね寄る。
次女まりさは優しく、舌でまりさの腫れた箇所をぺろぺろしてくれた。

「ゆぅ……だいじょうぶだよ、おちびちゃん。もうおかあさんいたくないよ」
「ありがとう、おちびちゃん。ここならあつくないからへいきだよ」

幸い、火傷は重傷ではない。
痛みに非常に弱いゆっくりだから、大げさに叫んだだけだ。
命に関わるほどの傷ではない。

しかし、これではどうやって餌を取りに行く?
日陰を極力探して注意深く進むしかない。
それでも、日光に触れないで外を歩くことなど理想論だ。
どんなに工夫しても、直射日光の下に出なければならない場所はある。
そこで、またこれと同じ痛みを味わうのか?
子どもたちも一緒に?
大の大人のまりさとれいむさえも叫んだ痛みに、子どもたちは耐えられるのか?

「ゆっくりしてよお……みんな、どうしてゆっくりしてないの?」
「やだよお……ゆっくりできなくなるのはやだよお……。ゆっくりしていってね……ゆっくりしていってね………」

自分たちの置かれた状況に、まりさとれいむはうわごとのように「ゆっくり」という言葉を繰り返す。
どんどんと、自分たちからゆっくりがなくなっていく。
これから自分たちはどうなってしまうのか。
将来を計画的に想像することのできないゆっくりだが、これから自分たちを待ち受けているものがろくでもない状況なのは分かる。
分かっていても、どうすることもできない。

「たいようさんもくささんも……にんげんさんも……みんなゆっくりしてないよ……。まりさたち……どうしたらいいの」

まりさの問いかけに答えるものは、誰もいなかった。 

次anko1964 ゆっくり退化していってね!2

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